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お盆だからお盆のお話しを(^^♪

お彼岸という行事は、日本独特のもので春分や秋分に御先祖様のお墓詣りをする習慣は仏教国のインドにも中国にも東南アジアにもありません。しかし、お盆は違います。お盆は、お経に由来する行事です。詳しくは「盂蘭盆経」に記されているのですが、簡単にいうと、お釈迦さまの弟子のお一人に目連という方がいらっしゃいまして、亡くなった母を透視したのです。すると、極楽に居ると思っていた彼の母は地獄に堕ちて、飲まず食わずの状態で苦しんでいた。彼はなんとか母を助けたく、お釈迦さまに伺いました。お釈迦さまは、「お前の母親は、生前、心が狭く困っている人々をみても知らぬふり、助けようともしなかった。罪の深さ故、お前一人が祈ったところで救うことは困難だろう。しかし・・・夏安居(げあんご)の終わる7月15日、断食が終わった僧侶たちに、お前が出来る精一杯の布施を行いなさい。」とお答えになりました。夏安居(げあんご)というのは、夏に行われるお坊さんの修行のことです。インドでは4月~7月の3ヵ月は雨期の為外出ができないので、その間寺院の中で断食などの修行をするのが夏安居(げあんご)です。その夏安居(げあんご)が終了したお坊さんたちにたくさんの食べ物を差し上げるという布施をしなさいということをお釈迦さまは告げたのです。ここからです。お盆という行事が生まれたのは。旧暦の7月15日、新暦の8月15日がお盆なのは、この日に夏安居(げあんご)が終了するからなのです。御先祖様だけではなく、戦争で亡くなった方々、災害や事故で亡くなった方々、この地球を支えて来て下さった過去の全ての方々に祈りを捧げたいですね。

お盆の話を書いていたら「摩訶般若波羅蜜多心経」が心に広がってきたので、ついでにお経のお話も。

では、「ニンニク」をテーマに(^^♪

「え? ニンニク?お経とニンニクとなんの関係があるの?」

ニンニク、美味しいですよね~~(^^♪

韓国アーティスト大好きの娘が次から次へと韓国料理を教えてくれるのですが、ニンニクを使った料理が結構多くて、よく ニンニクを使います。

チーズタッカルビも美味しいですよね♪(肉無し野菜ばかりで作りますが)

美味しいのですが、食べるニンニクはちょっと横に置いておいて・・・「忍辱」(にんにく)」について(^^♪

「忍辱」の話をする前にまずは、「般若心経」からいきます。
「摩訶般若波羅蜜多心経」の「摩訶」とは、サンスクリット語の「マハー」で、「偉大なる」という意味。「般若」は、パーリ語の「パンニャー」の音訳で「智慧」の意味。「波羅蜜多」は「向こう岸に渡る」ということ。
つまり、「向こう岸に渡る偉大な智慧」ということで、皆さんもよく御存知ですよね。

その大河を渡るためのチケット(^^♪みたいなものが (やった!(^^)/チケットがあるのね!?)、「六波羅蜜」で、「布施(ふせ)」「持戒(じかい)」「忍辱(にんにく)」「精進(しょうじん)」「禅定(ぜんじょう)」「智慧(ちえ)」のこと。彼岸に渡りたければ、この六つを行じなさいという教えです。

仏教の本などには、ほぼ全て「忍辱(にんにく)」とは、「耐え忍ぶこと。我慢しなさい。」ということだと記されています。

しかし

この「忍」、本当は「認」である。
仏教では「我慢」はハッキリ悪い事だとされているのです。

「無生法忍((むしょうぼうにん)」という言葉があります。空であり、実相であるという真理を認めることであり、一切全てが不生不滅であると認め、真理を悟った心の安らかな状態。

「法忍」は「法」を「認める」ことである。つまり、「つじつまが合う」事であり、「認める」事ができるが、「言い表せない」、「言葉にならない」。だから「認」ではなく「言(げん)」の無い「忍」の字があてられているだけなのです。

「忍辱(にんにく)」の「忍」は決して「忍ぶ」事ではなく「認める」ことなのです。
「過去の過ち・宿業」を「素直に、認めて、黙して、語らず、静かに、受け止める」事なのです。「禍(うず)」にしても「過去の過(あやま)ち・宿業を先祖・神仏が知らせて呉れる示し」だと言う事なのです。「示(しめす)」が付いている文字は「天・神・仏・先祖」に必ず関係しています。「示」は「天・神・仏・先祖」からの「お知らせ」なのです。「禍(わざわい)」も、そうなのです。私たちの「受け止め方、読み取り方」が大切なのです。気づいている方も大勢いますし、まだ気づいてない方はいずれ解る事でしょうが「この世の偶然の出来事」は「すべて天・神・仏・先祖、そして宇宙からのお知らせ、良かれのメッセージ」なのだ、と云う事が。何一つとして、「愚痴・怒り・貪(むさぼ)り」の心で受け止める様な物事は無いのだ、と云う事なのです。

と私の亡き友人が教えてくれました。彼は、仏教を究めに究めた方で、彼のおじいちゃまは昭和天皇にお仕えしてました。彼もよく皇室関係の方々や、日本中の宮司様 お坊様たちの相談役となっていました。お盆で、彼のことを懐かしく思いだしましたので、「ニンニク」についてもちょっとプチ日記に記してみました。

今日は、お墓詣りと家族でお食事会~4(^^♪ルンルン(^^♪
にんにく~(^^♪ニンニク~(^^♪お盆~(^^♪忍辱~(^^♪摩訶般若波羅蜜多心経~(^^♪

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先日、霊・魂・霊魂のことについて書いたので、今日は「霊媒」について書いてみたいと思います。

霊媒体質ということをよく言いますが、小さい頃から感受性が鋭くて、知らず識らず周りの波動と同調してしてしまう為に、周りの人の想いが言葉無しにわかってしまったり、周りの存在の痛みや感情ををそのまま受けてしまったり、他の人には見えない存在が見えたりする為、精神的に混乱をきたしたり肉体的に辛い想いをしたりする方が多いようです。自己コントロールできない状態の霊媒体質の方にとっては、人込みに出歩くことが非常に困難となります。彷徨う御魂さんたちも近づいてきたりしますし、地の波動をもろに受けたり、人の念なども吸収してしまったり、人が触った物を触ればそのままその方の波動が自分の中になだれ込んできたりします。このブログを読んでいる方々の中にもそういう方は大勢いることでしょう。

うちの家族について言えば、私は霊能者ではありませんが、小さい頃から彷徨う御魂たちの存在が周りに来てたので、死が終わりでないことは私の中の事実でした。今考えれば、周りの波動を受けやすく知らぬ間に吸収したりしていたようなのですが、自動的に肉体で浄化したり跳ね返したりしていたようで、特に寝込むこともなく、のほほ~んと過ごしてきてしまいました。ところが、私の娘たち3人とも、この霊媒体質のため、自己コントロールできず苦しみ抜きそれぞれに落ち着くまでに(自己コントロールができるまで)約10年かかりました。

「霊媒」は大きく分けて3通り。

A 憑依
B 神懸かり
C 帰神

「憑依」は、別に霊媒体質でなくても普通に憑依されたりするものであり、特別なことでもなく、されてても気づかない人が多いです。
ただ、強度の霊媒体質の方になると、憑依現象が凄まじく起こり、精神が弱ければ憑依した存在に振り回されることになり、あらゆることに支障をきたし、まともに社会生活が送れなくなります。精神が強く心身のバランスがしっかりととれていて、しかもバックの霊団の守りもしっかりしている状態ならば大丈夫です。
肉体には浄化作用の機能が備わっている為、周りの影響を受けた時、下痢したり、ゲップが出たり、あくびが出たり、熱を出したり、またとても眠くなったりします。数分、長くても数時間または1日ぐらいで自分の肉体で浄化できればいいのですが、浄化力の弱く自己コントロールが出来ない方は数日~数週間かかったり年中寝込んでしまう人もいるでしょう。

私の元には、彷徨う御魂に肉体に入られて普通の生活ができなくなったり、影響を受けて心身共にグラグラしてしまい、助けを求めてたくさんの相談が来ます。「どうしたらいいんですか?」という質問。

まずは、

○正しい食に切り替える。御数珠やお守りやお塩をなども守りとはなりますが、肉体は毎日食べるもので出来上がっているので、正食をするとことにより自分の肉体波動も上がりプロテクションとなります。身を守るために御数珠やお守りやお札に頼る段階もありますが、それは自分がまだまだの段階だと心得ておいて下さい。

○自己管理できるのが理想的ではありますが、霊媒体質の方は知らず識らずのうちに肉体を蝕まれている場合が多いので、霊眼を持ち心身の調整が出来る、高いレベルのプロに定期的にみていただくことをおススメします。こういった先生方も霊媒体質の方が多いのですが、霊的な影響を受けているような段階の方はプロとは言えないので、一切の影響を受けない高レベルの先生に見てもらうのがいいですね。

○適度な運動をして精神と肉体を鍛える。

○自分が霊媒体質であることの意味を素直に認める、。自他共に未浄化な感情を開放し、人間の様々な感情を自分自身のこととして受け止めるという学びを超えることができるようにする。この地球で起きてきた全ての悲劇も歴史も自分事としてとらえ、被害者加害者どちらの気持ちも自分事として完全にとらえる事ができるようになるまで、修行は続きます。

○負のエネルギーに同調する自分の負の部分を徹底的に消してゆく。(我欲を消しネガティブな波動を出さない状態を作る)

○自分の負が強くても彷徨う御魂さんたちはそのエネルギーに同調してよってきますが、自分の光が強くなれば強くなるほど、彷徨う御魂たちも助けを求めてよってきますので、更に心身を磨き上げ浄化力をアップさせる必要があります。

次に「神懸かり」について
自己の魂とか自分の守護神ではなくて、外部からの神仏などの依り代となる形が「神懸かり」と言われるもので、霊媒であることが求められます。霊媒の資質としては、知識を持ってない方が理想的です。あまりに博学だと、その知識故にどんな霊がかかっているかがわかりにくくなってしまいます。霊は、霊媒となる方の知識を利用することができますので、かえって邪魔になります。余分な知識などなく無学で素直で純粋な方のが天としては使いやすいでしょう。ただ、無学と言っても社会的な常識に欠けているという意味ではありません。

この「神懸かり」には「完全霊媒」と「半霊媒」という2種類あります。
「完全霊媒」というのは、霊媒になる人が完全に御神霊に肉体を貸す状態です。つまり、事が終了した時、御神霊が事をやっている間の一切の記憶が残っていません。これに対して、「半霊媒」というのは御神霊に肉体を貸しはしますが、自分の魂も同席しているので、その一部始終を覚えています。私が数十年前に出会ったアメリカ人の霊媒者は「完全霊媒」でした。目の前で、御神霊が入りメッセージをいただいたのですが、神界の仕組みを私に語り出し、その当時私に必要な貴重なメッセージをいただきました。顔つきも完全に変化してました。その後も「完全霊媒」「半霊媒」様々な方々に出会ってきましたが、使い物にならない危険な状態の方、闇の存在にいいように使われて気づいてない方、修行したらいい霊媒になれそうな方、いろいろな方がいました。

そして、本格的な霊媒者としては「完全霊媒」が求めれます。しかし、それは霊媒者の側にサニワがしっかりでき全てに対処できる者が居たらの話です。霊媒者の肉体の中に体を完全に預けるのですから、何が入ってきてもサニワできる力のある者がいないとマズいし、どんな者が入りこんできても適格な判断をし対処できなければダメです。あと、自分の記憶がないわけですから、その後の対処ができる人が側にいないと人との間で混乱を起こすことがあります。霊媒はピンキリです。どんな霊媒かを見極める時は、その霊媒となる方の御魂の霊格を見極めることが大切。霊格が高い場合は、高次元の御神霊が降りますが、霊格が低い場合に高次元の御神霊などを降ろしてしまえば精神異状を起こしたりします。低い霊格にも関わらず、霊媒をさせてしまったら動物霊や未浄化霊などが入り込み、対処が大変なことになります。この三次元では皆平等ではありますが、霊界は完全なる縦世界であり、霊格で分けられています。見える・聞こえる・過去現在未来を見通せる・病気治しができるというようなちょっと霊感があったぐらいで霊媒ができるというものではないのです。

最後に「帰神」について
これは自分の魂の本体神に還ることです。霊媒になり神懸かりになる必要は無しということです。自分の魂を成長させ、自分の神性・真我を発動させるだけでいいのです。つまり「悟り」の状態です。

大本教祖の出口王仁三郎氏は全八十一巻におよぶ大著 霊界物語の中の第48巻・第一章で、「帰神」について以下のように述べています。『人間の精霊が直接、大元神すなわち主の神に向かって神格の内流を受け、大神と和合する状態を帰神といふのである。帰神とは、わが精霊の本源なる大神のご神格に帰一和合するを謂うのである。ゆえに帰神は、大神の直接内流を受くるによって、・・・もっとも必要なる霊界真相の伝達者である・・・』

霊媒になり神懸かりになり、外部からの霊からメッセージをいただき指導・指示をされている状態ではまだまだということです。憑依や神懸かりを目指すのではなく、神懸かり現象で神を説き人々を光に導くのを超えた状態の、「帰神」を目指したいものです。

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数日前は、岡崎市 龍城神社境内地で開催される夏祭りを仕切るという依頼を宮司さまからいただいた為、音響・舞台・照明・机・ベンチ・椅子・太鼓などを一日かけてセッティングするお仕事をさせていただきました。やぐら下にもぐり15台ほどのマイクの配線を引いたり、いくつもの照明を取り付けたり、毎回やっていてもいろいろな出会いもあり新しいことの発見だらけで面白いしいい勉強になります。

御存知のように岡崎城・龍城神社は徳川と縁が深い地であり、何故か?私も若い頃から御縁をいただいていました。小さい頃は徳川のご先祖様である松平氏の墓に囲まれ育ち、その後も龍城神社の宮司様に御縁いただき、その息子さんも私の教え子であり、そして、兄も何故か?別ルートで宮司様と御縁が結ばれ、宮司様から直接音響・夏祭りを仕切るお仕事をいただくようになりました。神々の見守りの中で祈りながらお仕事をさせていただけるのは本当にありがたいことです。

岡崎と言ったら、八丁味噌。 この八丁味噌だるを使い葵の御紋が入った大きな太鼓が今回デビューしました。8人ぐらいでやっと持ちあげることができるぐらいの重さで、非常に立派な太鼓です。私も運ぶお手伝いしました~(*^^)v

この葵の御紋である「葵祭(あおいまつり)」についてなのですが、京都にある上賀茂・下鴨神社は、今から2700年ぐらい前の饒速日(にぎはやひ)天皇の御代、九州より神倭伊波礼古尊(かむやまといわれひこのみこと)が東征して、大丹生家(おにゅうけ)=天皇家・丹生家を制圧してし神武天皇として即位しました。しかし、全く丹生家の方々を無視することは出来ない為、少しでも協力してもらいながら神武政権に移行していこうと下手に出て、神武天皇より三代目の天皇の頃に、石槫(いしぐれ)に在る賀毛(かも)神社に真似て建設。このようにして、神武派と天照派(丹生家)の人々が一同に会して行った祭りが、「葵祭」だと言われています。

祭りは「神事(しんじ)」
「神事」は「心事(しんじ)」であり「真事(しんじ)」なり
「心事(しんじ)」で留まらず「信じ」ることにより
「真事(しんじ)」を為し
困った時の神頼みにならぬよう
日々の「行事(ぎょうじ)」として「行(ぎょう)じ」よ
これ神惟(かんながら)
「妙法」なり
「玅」なる「法」
即ち「最高の真理」なり

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今日8月8日は白山登山の予定でしたが、朝方白山ピンポイントで台風がいたので中止とし、今日は家でゆっくりしています。今日のプチ日記はちょっと真面目モード(^^♪

御縁ある方々とお話をさせていただいている時、魂・霊・霊魂という言葉が出たりそのような内容に触れることがよくあるので、今日はそれらについて書いてみたいと思います。

これらの三つのものは元々は一つであり皆同じもの。

この世に降り立ち人の肉体の中に宿れば、それを魂と言い、肉体を動かす力である命をいただきます。
霊というのは、高次元、この三次元を超えた意思ある波動・エネルギー。それには高い波動で人々を導くものもありますが、負の波動を持ち人に憑依する存在もあります。人間界に近く、人の世界を見守り導く存在。たくさんの霊能者がこの次元から導きを得ているようです。神はもっと高次元であり、高次元であればあるほど直接は霊媒になりエネルギーを肉体で受け止めることは不可能です。あまりに高ければ肉体である脳など破壊され狂ってしまうでしょう。それができる霊媒は、徹底的に修行されたわずかな方のみです。世に出ている見える聞こえるという霊能者といわれるほとんどの方々は、神のお取次ぎである霊を通してメッセージを得ています。キリスト様からメッセージです・・・とか、天之御中主様からメッセージです・・・とか、お釈迦さまからメッセージが・・・とか仰る方がたくさんいますが、霊が取り次いでメッセージをくださっているか、または完全に違ったエネルギーに惑わされ騙され遊ばれているか勘違いの方々ばかりで、申し訳ないですが本格的な霊能者は本当に数少ないと言わざるを得ません。御本人は気づいていないのがほとんどなので、たいていの場合は何も告げずに見守るだけでそっとしておきますが、その方が本気で魂成長を願い厳しいいことも受け止めるという姿勢であれば、はっきりと告げる場合もあります。その方がどこの次元までを目指そうとしているかですよね。

霊魂とは、肉体が無くなり、この世を彷徨う間の名前で、肉体が無い意思のみが残す波動です。霊媒体質の方はあちこちでそのような彷徨う御魂たちに憑依され、苦しい想いをする方もいます。自分の肉体の浄化力が強い方や、バックの霊団や神々の守りが強い方々は、さほど影響を受けることなく対処できますが、バックの霊団のお力が弱い方々は、御魂を天に上げる力も無いので、数体か数十体ぐらいに憑依されただけでヘロヘロになり体の調子がおかしくなるか倒れてしまうでしょう。本人の御魂の光も強くバックの霊団もしっかりしていて、かつ高次の神々としっかり繋がり御力もいただいている方は、数千体かかられても倒れずに対処できます。小さな負のエネルギーに対してもいちいち顔をしかめることも苦しむこともキャーキャー言うことも一切ありません。

霊が次元を落として人間に教えをしますが、それらは表面的な五感ではなく奥にある潜在意識を通じて伝えてきます。この御本人の中に備わっている「魂の柱」こそが神との接点となるものなのに、人は外部から来るものにばかり操られ、自分の守護神からも離れ、邪なものに遊ばれ、迷いの道をまっしぐら。 神との接点であるこの柱が一切曇らず汚れぬようにし(我欲を徹底敵に無くす)中庸の状態を常に保ち、調和を目指し生きることをすれば、外部の存在に惑わされないことに繫がります。
高き視点で(人間の視点からのみでなく常に神々の視点からも)物事を見渡し、見極めることが大切ですよね。

自分を信じることはとても大事ですが、信じている自分は大丈夫か!?と、時には自分を疑い戒めることも必要ですよね。そして、周りの方々から忠告やアドバイスを受けたのならば、たとえそれが自分の意見と異なろうとも、相手を非難・否定することなく、それを素直に受け止め、しっかりと見極め、学ばせていただく姿勢でいたいですよね。私はまだまだ未熟で欠けている部分ばかりですので、周りの方々から学ばせていただき魂を成長させたいとたいと思っていますので、これからもどうぞよろしくお願い致します。

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奥穂高

諏訪についての質問をたまにいただきます。以前載せたことと一部重複しますし、諏訪信仰・神事についてのほんの一部ではありますが、もう少し詳しいことを載せたいと思います。

諏訪についてとても詳しい田中基(もとい)氏が以前諏訪を案内してくださった時教えてくださったことや、諏訪市博物館研究紀要・シンポジウム(1993年3月)での田中氏の資料から抜粋させていただいたものです。

下社と上社の祭りの場の機能

現在、諏訪の御柱祭の真っ最中でして、ちょうどこの山出しと里曳きの間の時間に、御柱ってどんな発想でもって始まった祭だろうと考えてみるのもいいんじゃないかと思います。 しかし、その本来の世界像というものは文献を探してみてもどうも判ってこない。 そこで諏訪大社の古い祭り場のあり方や、神を発動するやり方などから、御柱の神観念を導きだせたら、と思い試みることにします。

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これは、下社秋宮と春宮の図ですが、奥に、イチイの木や杉の神木があって、その前に宝殿がありますね。立春の日、旧1月1日にこの宝殿に納められていた神霊が春宮へ移動して、今は春宮に入っています。 これが御柱の里曳きの前には、新しく建てられた西の宝殿へ移ります。 これがまた立秋の日に行われるお舟祭りで、今度は秋宮へ神霊が移ります。 それで下社の神観念というのは、日本民俗学で言うように、冬、山に籠った祖霊が、春、里におりて来て、稲作なんかを手伝って、また秋になると山宮に帰る、春と秋の、里宮と山宮を循環する構造をもった神さんであると理解されています。 そういう下社の神さんの構造と上社の神観念の構造とはかなり違うと思いますので、まずはじめにそのことを申し上げようと思います。

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上社本宮には硯石(スズリイシ)という水鏡のように水がたまる巨石がありますが、その巨石の方を向いて東・西の宝殿が建てられています。 ところが、室町時代以降だと思いますが、現在の本宮の拝殿はその方向から90度南側にずれた方向を向いて建てられている。 拝殿の方向と宝殿の方向が分裂しているわけです。 現在、、ほとんどの方は拝殿の方に向かって手を合わせられるので、拝殿を中心に今度建てられる御柱の順番をみると、右手前が4、左手前が本1、左後ろが本2、右後ろが本3となります。 ところがこの順番は、下社の秋宮や春宮、それに上社の前宮の御柱の配列といちじるしく異なっています。 秋宮などは拝殿からみて右手前が1、左手前が2、左後ろが3、右後ろが4と、時計廻りに1⇒2⇒3⇒4と建てられるわけです。 そこで上社本宮の御柱の配列は極めて特異であるという人がいますが、そういうことではないんですね。
古い神祭りの場と思われる、巨石の硯石(中世には御座石という神篭石があったと記されていますが、いまはみつかりません)と、その手前に左、右に並んで建てられる新旧の宝殿を中心にして御柱の配列をみれば、右手前が本1、左手前が本2、左後ろが本3、右後ろが本4となり、秋宮などと同じ配列でやられているわけです。 このことから、御柱は拝殿が分裂した方向に建てられる以前から行われていたんだ、ということが判ります。 それでは新しく方向をかえて建てられた拝殿はいったい何を拝んでいたのか、という疑問がわいてくるわけですが、これにはいろいろの説がありますが、僕は宮坂清通氏の考え方をとります。
拝殿の背後に幣殿があり、その後ろの中央に経文の納められたストゥーパ、つまり鉄塔があったわけですが、それを拝んでいたと同時に、その背後の方角には神宮寺の普賢堂があり、中には普賢菩薩像が安置されていたわけですね。 この仏像を拝んでいたということになります。 いわゆる「天正の古絵図」をみますと、たしかに拝殿の方角に神宮時の普賢堂が大きく描かれています。 いわゆる神仏習合の時代に、上社では神観念が一大転換して、制度的に仏体を拝む方角に拝殿が新しく向きを変えたと考えられます。 ちなみに当時の生き神、大祝(オオホウリ)は普賢菩薩の生まれ変わりだという思想に支配されています。

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次に上社のもう一つの神社である前宮ですが、ここには皆さんお気づきのことと思いますが、下社の秋宮や春宮、そして上社の本宮に建てられている宝殿は建てられていません。 これにあたるものを強いて探せば、あの十間廊(ジッケンロウ)の側にある「内御玉殿(ウチミタマデン)」ですけれど、下社の秋宮・春宮、そして上社の本宮のそれのように御柱年ごとに東・西どちらかの宝殿が新しく建てられて、そこに神霊が移動するというような性格のものではないわけです。 この建物の性格を端的にいえば、生き神様である大祝の生きみ魂、ないしは祖霊を祀る場所であって、その中に納められていた神宝もそのような性格をもつものだったのです。 内御玉殿の西側に広い平地がありますが、、そこは中世には生き神大祝の住んでいた神殿(ゴウドノ)の諸施設がたちならんでいたわけで、その東側の尖端に内御玉殿が大祝の祖霊を祀る施設として機能していたわけです。 現在のようにポツンと内御玉殿が残った状態では当時の光景を想い起こすのは難しいわけですが。 だから前宮は、他の三社と異なって四本御柱を立てるのみで、宝殿はない。 そして、現在という前宮という呼び名は、中世は神原(ゴウバラ)と呼んでおります。 つまり生き神である大祝の住んでいる神殿があるところ、という点が強調されているんです。 当時は大祝が即位したあと地主神の十三社というのを巡って即位のアイサツをしているわけですけれど、その二番目に参る神社に前宮と記されていまして、現在のように一帯を総称して前宮というのでなく、十三社の一つとして前宮の名があったわけです。 地元では前宮とうのは、本宮以前からあった社というふうに時間的に理解されているようですが、僕はタケミナカタやその妃の御陵だと伝承されているところの前をいつきまつっている神社である、という意味で空間的に理解しています。 だから 正確には前宮というのは、現在の神域の一番上にあるやしろの地域にだけ限定して考えた方がいい。 やはりこの神域一帯の呼び名としては、その性格からして「神原」、つまり生き神・大祝がすんでいる神殿のある地域、と中世風に呼んだ方がいいと思います。 そう考えてきますと、下社の秋宮・春宮のように一年を双分して循環的に神霊が行き来する対偶的、双分的な社と、上社の本宮・前宮は性格が異なります。 本宮・前宮は双分的な、対偶的な神社ではない。 本宮は古くは岩坐を中心にして宝殿を左右にまつる社で、前宮は社というよりも生き神・大祝がすんでいる処です。 つまり性質が異なる二つの場であるわけです。

神原の地下穴と蛇体

現在、内御玉殿の上に御室(ミムロ)社跡がありますが、これが中世に地下竪穴で神事を行った御室のあったところです。中世の祝詞によりますと旧暦の12月22日に諏訪湖の方から出てきた有賀(アルガ)を通って、真志野(マジノ)を通って前宮の入口の所末(トコロマツ)社に来るソソウ神という原始的な精霊がいます。それはカヤで作ったヘビですが、それが三体、御室の竪穴の中(図13)に冬のさなかにこもる。その時大祝(オオホウリ)、神長も一緒にこもってあくる年の三月卯の日、現在の四月にその大地の穴から出るわけです。その御室の構造というのは、竪穴の中に萩の枝で組んだ座を設け、五丈五尺のソソウ神というヘビが三体右から入って、左からは御笹のミシャグヂという原始的な精霊が入ります。大祝・神長も入るわけですからかなり大きな座というか構造物だと思います。春になってその冬ごもりの竪穴から出てきて十間廊で酉の祭りが行われるわけですけれど、それが現在、形は変わっていますが続けられています。

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祭りで中央にあるのは御杖柱(ミツエバシラ)で、そのうしろに鹿皮が敷いてありまして、昔は大祝が着座していましたが、今は宮司が座られています。また御杖柱は昔、神長官が担いだのですが今は若い神官が担いでいます。御杖柱というのは、現在は桧の柱に柳とコブシ、カシワの葉、ジシャをつけ、矢を二本刺し、下に五色の布をさげています(図14)。

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これは江戸時代に菅江真澄さんが酉の祭を見て描いた絵には「御贄柱(オニエバシラ)」とありますが、植物等は同じです。しかし中世の御杖柱は違ったようで、種類は判りませんが山の木々に氏人の髪の毛をくくりつけ束ねて、御杖柱にすると書かれています。この御杖柱の世界像を探る上でも重要な鍵をにぎっていると思います。

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先ほど御室の地下室の中にカヤでできた五丈五尺のソソウ神というヘビがいると申し上げましたが、それが冬中こもっているんですが、大地が芽吹く春になってその御室は壊される。しかしその中にいた蛇の行方はよくわからないんです。一緒にこもっていたミシャグヂは前宮に持っていかれるんですがね。その後、酉の祭で十間廊の殿上で盛大な春の神事がくりひろげられるわけですが、先ほどみられたように一番重要な神体として御杖柱が出現しているわけです。冬中地下室で一番重要だったソソウ神のヘビが、今度は御杖柱にかわっているわけですね。僕はこの転換を、大地の水脈であるヘビのソソウ神が諏訪湖の方からやって来て地下室の御室にこもり、春になってその大地の水が樹液となって上昇して御杖柱に化生したんじゃないかととらえています。

「御杖柱」は「ミズメ柱」とも言っておりまして、「ミズメ」は梓の木のことで、本来はヒノキでなく梓でやっていたんではないかと、伊藤富雄氏は推定されています。そして現在、前宮には「水眼」と書いて「スイガ」の流れという温泉の水流があって、音で読めば「スイガン」ですが、訓で読んだら「ミズメ」なんですね。<その後、藤森明氏より、茅野市安国寺地区蔵の古絵図に前宮の水眼の流れを、「水目」と記したものがあると教わった。ミズメであろうか。>
これがいかにも蛇体をほうふつとさせるように前宮の傾斜面を曲がりくねって流れています。そういうわけでミズメ柱とは水霊の柱を意味したんではないか、蛇体が上昇して生命の樹に変貌したんではないかと思います。諏訪の古い正月である酉の祭に大地の春の新年の木として、このミズメ柱が登場する様を想像しております。

大地と水脈の季節的循環

「ソソウ」神とか地下の御室を重視するように、諏訪には大地の穴に対する古い発想法が祭りの中にずいぶんあるんですね。特に現在でも12月31日トラの刻に葛井(クスイ)の池に、旧年中に使った祭祀の用具をまとめて沈めますね。中世ではその時、御室の方から新年の火をおこして葛井の方に合図を送っているわけです。その火を見て池の中に投げ込むと、伝承によれば浜松のサナギの池に浮かび上がると言われています。地下を通って太平洋側に流れていくわけですね。またその数時間後の1月1日の早朝、蛙狩り神事というのが行われています。御存知のように御手洗川にこもっている山赤蛙をつかまえて生贄にするんです。『画詞(えことば)』には、暴れるガマ神がいて、それが竜宮と現世の間をふさいでいる。そのカエルを押さえつけて鎮める、というような話があります。つまり、地下他界なり竜宮との境目を塞ぐカエルを正月1日やっつけて地底の竜宮との通路を開ける、というような発想があったようです。また有名な甲賀三郎物語も大地の穴を意図的に問題にし、そして蛇体を問題にしている。甲賀三郎が姫を追って人穴に落ちて、地底をめぐってヘビになって、また上昇して諏訪の明神になる話ですが、その説話の中に梶の葉の直垂(ヒタタレ)というのが出てきて、また、ナキガマというのが出てきて、管の行騰(ムカバカ)、これは、大祝が御射山神事に行くときにつける正装なんですが、これらはヘビやムカデに襲われた時にこういうものを出せばいい、といものなんですね。こうみてくると甲賀三郎の地底の行動や、蛇体になり、そして上昇して諏訪明神になるのは、ほぼ大蛇の行動とダブルイメージされていて、その際重要なのは、地底での行動なわけです。葛井はおそらく九頭井で龍に関係した底無し沼でしょう。またガマが塞いでいる竜宮へ通じる大地の穴とか、甲賀三郎が遍歴する地底の穴というふうに大地の中を縦横無尽に迷路状につないでいる穴と、その中に動く大地の水脈である龍、ないしは蛇体を意図的にとりあげているんです。こういうまなざしというのは、萩原さんの提起しておられる地下他界や、龍水という大地の水脈とその季節的循環に対する人間の洞察と畏敬に根差していると思われます。
先ほど下社の話に出たように一年を双分して春と秋、地上を循環する神さんというんじゃなくて、上社の神は冬は地下に蛇体となってひそみ、春になると生命樹に化生して地下から湧き出たり、大祝が春が終わったあと御立御狩、御作田御狩、御射山祭、そして秋庵祭というように四度八ヶ岳山麓に行ってススキの穂屋にこもりますね。大祝が移動するたびにこもる所は「神殿」とはっきり記されています。つまり大祝の移動によって焦点が移動している。
よく、諏訪大社には、拝殿はあるが神殿はない、それは大和の三輪神社が拝殿だけあって、神体は三輪山を拝しているように、背後の守屋山を神体山として拝んでいる古い形式の神社であるからだ、と言われております。これを俗説としてしりぞけたのは八代国治という人です。左右に配されている宝殿こそ、神社の神殿にあたるものだというのです。そのとおりだと思います。あの宝殿は普通の神社とは異なってみえますが、例えば伊勢神宮の本殿と同じように、何年目かごとに新しい神殿が建てかえられて、そこに神霊が移って蘇生するという意味での神殿の形式だと思われるからです。だが、拝殿が分裂した方向に造られたあとは、もう一つ考えないといけない。先ほどいいましたように、拝殿の背後の幣殿うしろには多宝塔、つまり経文の納められたストゥーパがあり、それを拝んでいたわけですから、これも神殿にあたるものです。そしてその背後には神宮寺の普賢堂があり、普賢菩薩が鎮座しているという構成をとっていた。いわゆる神仏習合時代にはこういうふうに二重に考えた方がいいのではないか。

ところがここにもう一つおもしろい問題が浮かび上がってきた。それは幼童の神さんを焦点として拝する建物、つまり神殿が、いっぱいあったということです。常設の神殿とは別個に、冬ごもりの竪穴である御室も神殿であり、春、地下から出てきて盛大祭りをやる十間廊も神殿で、八ヶ岳山麓の御射山につくられる穂屋も神殿であり、円形の秋庵も神殿なんですね。これはどういうことかというと、神体である大祝が季節祭式で移動するたびごとに、その場が神殿になる。こういう季節ごとに大祝と共に移動する神殿というのは古い形式だと思われます。それは冬の地下竪穴に蛇と一緒に、そして、春、出てきて御杖柱と一緒に、夏に八ヶ岳山麓にこもってやはり蛇を意味するススキと共に、というふうに極めてダイナミックに移動している。この移動を季節と空間を一緒に追って考えていくと、それが大地の水脈の循環をなしている。この一年間の円環移動全体を考えますと、大祝がドラゴンないしはミヅチであるといういわれがよく判るのではないかと思います。中国流にいいますと春分に天にのぼり、秋分に淵に潜るという龍水の循環を、諏訪湖畔と八ヶ岳山麓の一大地形をとりかこんでうまく表現していると思います。

山ノ神と蛇口の交合による御柱の発動
中世においては酉の祭の時は三本の御杖柱に鉄鐸をつけて三県(アガタ)(内・外・大県)の湛(タタエ)巡りをしました。この「タタエ」は柳田・折口両氏によると、「タタル」という言葉からきていて、それは神が示現する様をあらわす言葉で、神が木の梢を通じておりてくるという観念をあらわしていると言って、垂直的な降臨を強調しております。しかし、もっと素直に考えて「湛の樹」は、その漢字の示すごとく、地下水をたたえている樹と見たらどうか。龍樹と考えたらどうか。この湛は、樹の下でミシャグヂ降ろしをするわけですけれど、ミシャグヂは「ミシャグヂ上げ、ミシャグヂ下げ」という言葉があるとおり垂直に運動する神さんです。だからこの地下水をたたえた湛樹に天空からミシャグヂを上げたり下げたりして神むすびをする、という考え方が一つあったんじゃないかと思います。さっき御室の中に水脈をあらわすヘビがいると申しましたが、その横に御笹のミシャグヂというのがあって、そのササを通じてミシャグヂをおろして、この蛇体につけなければ神事が始まらない。そこでこちらとそちらの神さんを神むすび、つまり交合させないと神霊が発動しないという考え方があって、この「タタエ」もですね、地下水をたたえた樹と、天空からおろしたミシャグヂに性的交わりをさせて神的威力を発揮させたんだと思います。このように陽極と陰極を結びつけて神霊が発動するという方式を御柱の中で探していくと、メド穴に藤蔓でもって男綱、女綱をそれぞれ結びつける、そして男綱には山ノ神、女綱には蛇口という精霊が綱渡りをしてのりうつる。ヘビと山ノ神がセックスしているという構図が藤蔓の縄であらわされていると思います(図16)。それはさっき言った御室の中で、ミシャグヂとソソウ神が交わっているという構図と同じなわけですね。御柱の山出しのいちばん初めに御綱渡りという儀式がありますが、この中の木遣りの唄の中に、「山ノ神様御乗立で 御双方御手打綱渡りエー」また、「男綱女綱の綱渡りエー、御双方様健固を祈りますエー」というのがあります。この御双方様というのが男綱と女綱にのりうつった山ノ神と蛇口を示すもので、御手打というのがそのまぐわいをあらわすんではないかと思います。山ノ神は、そういうふうに臨時に降りてきて、その神霊を発動するもんで、例えば、山ノ神は山出しが終わって安国寺の御柱屋敷に到着すると山ノ神返しをする。一度、山の方に帰っている。そしてまた里曳きの時には、今度は山ノ神は御柱街道を通らずに特別の道を通ってお舟にのっておりてくる。そして御柱と合体して先導していた。そういう威力ある神霊だったんです。現在は、お舟は本宮を出発して御柱を迎えるようになっていて、これは諏訪大社の神さんが御柱をお迎えにいくんだといわれていますが、これは新しいやり方で本来のものではなかった。ちなみに一の柱の長さ五丈五尺は、御室の地下穴にこもったヘビの長さと同じなんです。このように、山ノ神は水の霊と神むすびする神で、御柱を通じて、山ノ神と水の霊であるヘビの交わるパワーあふれた柱を、八ヶ岳から諏訪湖畔、祭り場までうちおろして、その場を再生させたんだと思われます。このような大地の水脈の季節的循環と植物の生育する力に対するトータルな視線というものが、再び現代に要請されざるをえなくなった歴史のパラドックスを思いますと、諏訪のドラゴンというものは、身をぼろぼろにしてもいつか息を吹き返すでしょうか。

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諏訪前宮の裏山にて

以前、『微妙事』に事を感じ取り行動することがいかに大事かということについて記しましたが(平成26年7月21日)、あっ!っと思う事がありましたので記しておきたいと思います。

数日前のこと

『あっ 家の中に蛇がいる('_')』 って視えて感じたのです。理由は何もありません。ただ わかるし視えるのです。
人類皆が持っている直感というやつです。私には特別な能力もないし、霊感などもありません。昔から、池の中の鯉の数がわかるとか、あっ ここで人が死んで埋まってるとか(母に伝えたその一年後ぐらいに白骨化した方が発見されて新聞に載りました)」・・・父が死ぬ日が半年以上前の元気な時に既にわかるとか、そのぐらいの程度のふつ~のわかる程度です。

いつも思い浮かぶことが現実になったり、未来を視せられたりする時がありますが、まさかこれは(蛇が家の中にいるということ)現実のわけがない!あ~ヤダヤダ、気のせい 気のせいと打ち消してました。

ところが、その夜

娘が私の寝ている部屋のドアを開け『ねえママ~なんか蛇みたいなものが猫部屋にいるみたいなんだけど・・・しっぽがとかげより長いような・・・ちょっと来て~~(・・;)』

『マジ~~~~~~~!? あの感覚はやっぱり現実だったの~~~~~~~~~!? やばいやばい!!』 眠気もぶっ飛び、飛び起きる。恐る恐る猫部屋へ。
そこには蛇と遊ぶ猫たちがいたのです(@_@)
『キャ~~~~~蛇だ 蛇だ~! 猫たち離れろ~~~~~~!』 赤ちゃんの小さな蛇ではありましたが、それでも30センチ以上はあるし、やっぱりニョロニョロはちょっと苦手。外ならどうも思わないのだけど、家の中となるとちょっと逃がすわけにはいかない。最近猫に網戸を破られたから隙間から入られてしまったのかも?夜中に大騒ぎしながら、蛇さんを傷つけないように、捕獲し、無事お山に返しました。眠気ぶっ飛び~~~~~~~(*_*;交感神経働き過ぎて、その後寝れないかと思ったけど、事が終わったらパタっと寝てしまった(笑)
まっ、基本的に蛇さんくいつかないし、悪い事しないから大丈夫なのよね(^^♪マムシさんならちょっと怖いけど・・・今回のはあおだいしょうさんでした~~~~(#^.^#)

ってことで、微妙事に感じ取ったことは、その時点で早めに調査し、解決した方がいいですね(^^)/

以下、平成26年7月21日の記事です

一大事の前の大事。大事の前の小事。小事の前の小々事。小々事の前の小小々事。小小々事の前の・・・の前の・・・の前の・・・の前の微妙事(みみょうじ)。まだ、事が起こる前です。「なんとなく」とか「予兆」とか「虫の知らせ」とか「直感」とも言える「微妙事」。微妙事の段階で感じ取れるか? それとも、一大事になってから、初めてわかるのか? 時は待たない・・・どちらでわかるかで、「まにあう」の意味が違ってくる。「間に合う」のか「魔に逢う」のか。

知ることは力である。
ミツバチも同様ですが、知識を得るには、原則として3通りありますよね。
1.生来の知識は遺伝物質に書きこまれている(本能)
2.知識は、自分自身の経験によって獲得される(学習)
3.高度な段階として、同じ種の仲間が経験した情報を伝え合う(情報交換)

学習と情報交換のために、感覚器官は外界と結びついています。感覚器官は、外界に対する受信的な窓としてでなく、中枢神経系の感覚統合系と連携して、生物学的に重要ではありますが、現実には、物理学的には存在しない情報を能動的に解釈し自分のものとしています。ミツバチは、生まれつきの能力・経験を通して学習する能力・そして情報交換をするという能力を最大限に活かして賢さの基盤となっています。人間も同じですよね。

ここ数日、「無生法忍」とう言霊が頭にずっと浮かんでいるのですが、この世の中の本当の在り方を認知し、悟る時、本当の安らぎを感じることができると思います。全てのものは、不生不滅であるという真実の理(ことわり)をさとった境地が「無生法忍」。真理は、綺麗な光の珠。真実の理とは、というと難しく聞こえるかもしれませんが、きっとシンプル。「理(ことわり)」とは・・・素直にそうしてみると、自分の心が爽やかで、明るく、清々しくなり、綺麗な光の珠になることを感じ取れる事(^^) もちろん、自らの心の赴くままに従えども則(のり)を超えず!です。この世とあの世の規則である理法に従いながら、他者を生かす真実の世界観を持つこと! 真実の素晴らしさをハッキリ・しっかり示すこと!自ら、囚われを無くし、明るくなり、軽くなり、楽になり、笑い、愉しみ・・・廻りにも同じ事を教えてあげる! つまり、『仁』です。
儒教の五常。五つの徳。人の守るべき五つの道「仁」「義」「礼」「智」「信」。この中の「仁」です。「仁」は「親しむ」こと。大系漢字明解には、以下のように記されてます。「人・二の二人が親しむ。一方の人に慈愛があるから、二人は三人となり、三人は萬人となる」
「仁」は「したしむ・いつくしむ」とも読みますよね。愛であり、恵みであり、思いやりです。人間だれしもが持っている素晴らしい資質です。以前、ダライ・ラマのお話を聞きに行った時、彼はこう仰ってました。『人間価値を促進して、人間の資質を高めて下さい。』って。この「仁」を廻りに響かせ、二人から三人へ、三人から萬人へと光の珠が繋がり大きな愛の輪ができるといいですよね(^^)

難しいことは考えず、「明るくなり、軽くなり、楽になり、笑い、愉しみ・・・」これです! ということで、今日も楽しい一日を過ごしましょう~~♪♪♪\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

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長谷寺のボタン、5月2日は満開で綺麗でした~(^^♪母の日のプレゼントとして、長谷寺&温泉&お食事に奈良県まで行ってきました。母は十一面観音様が大好きなんです。

皆さんもポカポカの春を楽しんでますか?
あちこちで咲き乱れるお花の美しさに癒され、毎朝小鳥の声で目を覚まし、柔らかな風に吹かれ太陽の光を浴びながらゆっくりと庭掃除をやったり、猫や犬たちと戯れながら春を満喫しています(^^)/

生活に四季を取り入れ愛でることは、とても大切ですよね。旬の食を取り入れることで体内の循環も整えることができるし、宇宙の中を巡る氣を感じ、宇宙法則を感じることもできます。
己は宇宙そのものであり、四季を愛でることは、己を愛でることにほかならぬ! って感じですよね(#^.^#)

己の循環正すには足るを知ること。

足りたるを知れば、今命あり 生かされているだけで感謝できます。
神仏 先祖 両親 周りの人たちにも素直に感謝できます。

自然界も人間の体も 全てのものは五つの要素、 木 火 土 金 水、五行に分けられるという考え方がありますが
「木」は、草や樹木のことで、茎や枝葉がどんどん伸びる様子から、柔軟に広がる伸びやかさの象徴。
「火」は、熱や暑さや勢いがあり、上昇する性質。
「土」は、土の持つ豊かさや濃厚さ、そこから様々な物が生み出されたり作られたりすることの象徴。
「金」は、鉱物や金属の性質である鋭さや乾燥や透明感、清らかさなどの象徴。
「水」は、下方に流れ、潤いを与え全てを養い、育み、冷たさや静けさを象徴。
体について言えば、木 火 土 金 水 は、肝 心 脾 肺 腎の5つに対応しますが、東洋医学では単なる臓器を表すのではなく、体の機能を示し、これらと感情は密接な関係があります。
怒りが強いと肝を痛め、いつも余裕のない焦った状態であれば心を痛め、悩みがあったりストレスが多いと脾を痛め、悲しみが強いと肺を痛め、恐れは腎を痛めてしまいます。
人の負の感情は免疫を落とす大きな因。
足るを知り常に中庸の状態でいることができれば、どんなことにも感謝できるし、周りで起こることの全てが学びなので感情に振り回されることもありません。そして、体内の循環も正され、体内に溜まっている毒も排出され免疫力も高まります。
この世の様々なものは、複雑に絡み合い、自分の目に見える関係だけで動いているのではありません。五行思想はそんな大切なことを私たちに教えてくれてますよね。

そして、人は先祖や両親や前世の自分から受け継いだものや、負の波動が潜在意識に溜まっています。この人生の中で溜め込んだその負が膨らめば、負の運を引き寄せます。自分を浄化し家系の氣を清めるのは、私たち人類の役割です。自己浄化をしっかりし、子孫にも次の自分にも負の波動を残さないようにしたいですね。

人と地球は一心同体。
自己浄化は地球浄化。
あちこちに出向いての地場調整もとても大切なことではありますが、毎日を愛で生きること、そして純粋に真っ直ぐな心で笑顔で生きることが何よりも大切。どこまでもどこまでも美しい心で生き、自己浄化し、地球の傷を治し癒し、本来の美しい姿を取り戻したいですね

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過去にとらわれることなかれ
人は過去を思い出しては負の感情に振り回され
後悔 執着 恨み 悲しみ生じさせ心曇らせる
良き事も悪き事も過去の出来事は今のことで無し
歴史も大切なるがこだわるなかれ
良き事は良き事として更に拡げ
悪き事は二度と同じ過ちを繰り返さぬ為の教訓と為せ
過去の歴史がどうあれ今が大切
今から先をどうするかが重要

神は等しく皆々に光を照らす
人が清く正しく純粋に神と共に生きたいと願うのならば
神はその者と共にあり
人は弱きもの故
目に見えぬ存在にすがり頼ろうとする
時に己を見失いよからぬものに惑わされ彷徨うこともある
そなたの中の神を信じよ
耳に聞こえず目に見えずとも
神の意はそれぞれの魂に直接届くものなり

偏りなき考え 行き過ぎなき行動
調和 中庸に意識し
心清らか純粋に生きるなれば
道を間違えることはなし

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人は皆平等 差別無し。
スポーツに秀でた人、芸術に秀でた人、科学に秀でた人、物造りに秀でた人など、ズバ抜けているものを見ると、他の人と違うかのように映りますが、特別に秀でる才無くとも、全てを合わせれば、皆平等の能力を与えられているし、皆幸・不幸与えられ、行も平等に与えられています。

『人の価値は表面に無く 魂の浄化がいかにできるか』 のみ。

魂の浄化をするという長い道のりの到達点は、完全なる宇宙の調和。
大切なるは、到達点に立つ事でなく、そこに到るプロセス。つまり、たゆまぬ努力であり、根気であり、心がけです。
それが、その人の個性となり、強さ、優しさ、愛の深さ、徳となります。
そして、その一人ひとりの個性が調和し、宇宙進化をもたらすのです。

自らの心の動揺がこの世の迷いを作っていますが、心の本源に還り悟れば、心の水は澄んで静まります。澄み静まった水が森羅万象を美しく映すように、心の本源は全ての存在の真の在り方を識っています。

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