我々は 眼 耳 鼻 舌 身 意とういう六根を授かっています。
六根を大切にし 磨き 同時意発しないという事は、能力を粗末にしているという事です。
「粗末」と云うのは「末」は「粗」く成る訳です。
末代、ごつごつと荒れてきます。
これを「粗末にする」と言います。
この世 その物を、「愚痴る」事になるのです。
この世を貶(けな)す事は、この宇宙の創造主を貶す事であり、神仏・自然・宇宙を貶す事です。
愚痴が多い人間は、解決策を見出す「智慧」が少ないという事と自分の学びを認めてないという事です。
自らの置かれた状況世界に対し、愚痴を言い、諦める時、その状況世界は、神仏の世界からは程遠
い、囚われの世界にしか観えていないのです。
中庸の状態であれば、物事を正しく観、正しく判断し、正しく決断する事ができます。
我々は、皆その能力を授かっています。
不可能に想える一つ事に囚われていてはいけないのです。
囚われの世界は、神仏の世界では存在しません。
不可能に想える一つ事も、囚われる事なく、良く離れてみると、
必ず解決の端緒は見つかるものです(^^♪
