人は失うことを恐れる
家 家族 健康 お金 地位 名誉 命
恐怖も 心配も 不安も 執着ある故湧き起る感情
己という小さな枠にのみ意識ある限り
苦しみは生まれる
宇宙に意識広げるなれば 己無きこと 失うものなど一切無きこと気づき
魂は光を増さん

人は失うことを恐れる
家 家族 健康 お金 地位 名誉 命
恐怖も 心配も 不安も 執着ある故湧き起る感情
己という小さな枠にのみ意識ある限り
苦しみは生まれる
宇宙に意識広げるなれば 己無きこと 失うものなど一切無きこと気づき
魂は光を増さん
場を活かし
時を活かし
人を活かし
物を活かし
想いを活かす為に
礼儀作法は 日本の中の隅々に有り
気配り 躾け 身に付けてきた教養
今までの人生で得た心の栄養が
身体から発する波動として また言霊として響き渡り
その者の品位 品格現れるなり
自然の霊威や神威というと・・・
『かしこ』という言葉を思いだします。
手紙の末尾に「かしこ」と書きます。
なぜ 「かしこ」なの???と思ったことはないですか?
「かしこし」を調べると、身も心もすくむような畏怖の気持ちをいうのが原義です。
海・山・風・雨・雪・川・雷・木・道・草・花・・・など
あらゆる自然に霊が宿っていることを認め、それらの霊威や神威に対する畏敬の念です。
祝詞の中にも「掛巻母畏伎」=(かけまくもかしこき)=言葉に出して言うのも畏れ多い。
とか「恐美恐美母日須」=(かしこみかしこみももうす)=敬い慎んで申し上げるというのがあり
ます。
自然の霊威や神威を恐れかしこむ気持ちから発展して、畏敬すべき力を持ってる人のことを表す賢
人という言葉が生まれたのでしょう。
宮中の「賢所」というのも納得いきます。
みなさんご存知のように、手紙の最後に書く「かしこ」というのは宛先人への敬意を表したもので
すが、この言葉が「自然の霊威や神威」に由来するものだということを日本人と して知っていたい
ですね。
日本語はやはり素晴らしいです。
人は何故ここまで魂を穢し貶めたるや
人を憎み妬み傷つけ
母なる大地や生態系を破壊してまで必要な物とはなんぞや
人の命は永遠なり
この世だけ生きる命と思い
好き勝手生きる者もおるが
肉体失いて魂のみになりたる時
はじめて永遠の命なることに気づき後悔せん
生命は一度に非ず
この世での毎日の言動が次の世に繋がりゆくと悟れば
如何なる生き方をすべきかもわかり
自ずから魂は磨かれん
意思有りて 行動有り
行動有りて 意思従う
意思と行動 対なる関係
どちらか低かれば もう片方も低かりし
神の御心 己の曇り無き美しき鏡に
そのまま映しとりそのまま行じよ
そは光となりて 全てを整え清めるなり
霊験あらたか全てを映し出す鏡となりて
この世を照らせよ
人を救うとは
心を癒し 問題解決・苦痛を取り除くことに非ず
真の救いは
神縁結び 神の御心を伝え 目覚めさせることなり
我(われ)が解決・救わんとする傲慢さは
かえりて学びの邪魔になること多し
神が傍らで見護っておること 真理知ることこそ
心の安らぎとなり 真の救いとなる
この世の乱れ
何事も速さ重視の生活に ひとつの因有り
呼吸も然り
荒き呼吸は 血管・筋肉・緊張し血液の流れも悪しく
体温・脈乱れ 氣短く ゆとりも消えるなり
ゆっくり呼吸する者 穏やかなる波動出し
周りをも癒し 整え 穏やかにする
この世を改善したくば 速さ重視の生活改める必要有り
天の存在が仰っているように、私も、聖地の波動や場の乱れをあちこちで感じています。 テレビやネットなどで紹介されたりすると、興味本位の方が多く訪れるようになります。 本来、聖地は興味本位で行くのではなく、その場の神様や場に畏敬の念を持ち感謝の想いを伝える場です。また、 自分と向き合う時間としたり、ご神気を頂くことで心身浄化され、気持ち新たに前に進むきっかけにさせていただいたりする場所です。
己の善悪の基準は人の善悪の基準とは同じに非ず
人には厳しく 己の悪には寛容になりがちで
結果 争いに発展す
己の基準は身勝手なものでないかと己に問い
己の基準を人に押し付けることなく
己の悪に目を向けるべし
相手を責めることなく
寛容謙虚になりて己の未熟さ悟れば争いにはならず
負の感情湧き出づるも 人間の自然な姿
なれどその感情をいかに抑えるかは己の修行のひとつ
他人を己の基準のみにて測ることなく
全てを包む大和の心で接すれば
穏やかなる人間関係築かれ 光広がりて
世は平和へと導かれん
「とこしえ」という言葉があります。
いろいろな説がありますが、「床石(とこし)上(へ)」= 岩の上にあって不変というとこから、永久の意味。
または「常 (とこ)+形容語尾+へ(方)」という解釈。
国常立尊(くにとこたちのみこと)・・・「床(とこ)=常(とこ)+立つ」 「タツ」は見えなかったもの、存在しなかったものが、下から 上に姿を現し、動き出すということ(風がタツ、煙がタツ、虹がタツ、音がタツ)だから、トコタチというのは「土台(大地)が姿を現し、動き出す」。
神は生命界を永遠に存続させるために、人祖「初代」伊邪那岐尊(男)と伊邪那身命(女)をお遣いになり、十九組の男女(めおと)を生産(うみ)育てになりました。そして、長男・長女を大丹生家(天皇家)とし、十八組を丹生家(天皇家の分家)とされ、大丹生家を中心として、十八家の丹生家がそれを支えてゆく、その御姿が聴区(きく)の御紋です。日ノ本の国の政(まつりごと)を行う国常立尊の元姿です。
日ノ本を守ってゆく最初の方々に「国常立」という名前をつけたということは、昔の人は「ト
コタチ」という語が、永久、安定ということをわかって、この国がそうなりますようにという
深い願いも込めて、そう名づけたのでしょうね。
そんな願いが込められているこの日本、地球をダメにしてはいけません。
宇宙が、今ここにいる私たちに全ての想いを託し送りだしてくださったことを思い出してください。今までにないこの地球の転換期この世界をいい方向に変えていけるのは、今、この世に生かされている私たち。ご先祖様や神々の想いをここで断ち切らないように、裏切らないように、人間の代表としてしっかりと役割を果たしていきたいですね。